地域としては
木製バットの生産日本一
今回は、現役・往年のプロ野球選手のバットを展示する全国唯一の「南砺バットミュージアム」、国内でも希少な手削りで世界に一つしかないバットを作り上げる「エスオースポーツ工業」をご紹介。2つの違った視点から、福光のバットの魅力を届けたい。
王、長嶋、イチローの
分身に出会う
「福光で最初にバットを作ったのは、波多栄吉さん。波多さんが愛知の木工会社で習得した技を、地元で生かしたのが始まりです。大正末期、バットの材料は九州や北海道が主で、販売元の中心が東京や大阪だったので、その中間地点としてバットの生産が増加し始めました。材料の保管に北陸の高い湿度が適していたことも、栄えた理由のひとつ。福光の主産業として、1,000人近くの人が従事していたのではないでしょうか」
そう語る嶋さんが、「南砺バットミュージアム」をオープンしたのは、平成24年2月10日のこと。「波多さんのお孫さんが私の友人で、一緒にこういう施設を作りたいという夢を持っていたんです」と、波多さんの会社の倉庫に眠っていたプロ野球選手のバット1,300本を買い取ったのがきっかけだ。商店街の空き店舗対策を活用して、夢を実現した。
「ユニフォームやサインボールなどは、お客さんや先輩、後輩がくれて集まってきたんですよ。これらはコレクションというよりも、福光の歴史として大事な資料ですね。みんな『鑑定団に出され』というけど(笑)」
そう言いながら見せてくれたのは、金本和憲選手のバット。よく見ると、「皮を1枚剥いてくれ」と注文が書かれている。「皮一枚は0.1mm。単なる道具とはいえ、奥深いですよ。体の一部として扱いますから」と嶋さん。ごくわずかな違いにも気づけるのがプロ野球選手であり、その要望に応えられるのがプロのバット職人なのだろう。その他にも、グリップの手の跡や、ボールの縫い目を残すものがあり、一本一本からドラマが感じられる。
普段、南砺バットミュージアムは無人。訪れた際には、隣の酒屋に嶋さんを呼びに行くというシステムだ。このお気楽さも、多くの人を惹きつける要因といえよう。
手削りでバットを作る
全国的にも希少な工房
御歳80歳の大内さんは、16歳からバット職人ひとすじ。野球は見る専門だが、これまでには落合博満や掛布雅之選手のバットを手がけたこともある。
「手削りは1本に20分ほどかかりますが、機械だと5分もしないうちに0.1mmの狂いなく削れるので、多くの工場では人を育てるより、機械を導入するようになりました。ですが、機械では一本単位で細かい要望に応えられません。手削りなら、さじ加減ひとつで微調整ができるので、要望に柔軟に応えられます」と中塚さん。一本からでも削れることが、同社の強みだ。
バット作りを通して、地域の活性化にも貢献している同社では、2021年の夏から「バット削り体験」を実施。バット作りの工程を見学した後、実際に刃物を持って削ることができる。最後には、バットの端材で作ったストラップに、レーザーで名前を彫ったものをプレゼントされるのも嬉しい。福光の思い出を持ち帰れる。
福光の主産業として栄えたバットを資料として後世に伝える嶋さん。そして、希少な手削りの技を未来につなげる大内さんと中塚さんたち。福光には、それぞれの方法でバットを愛する人たちがいる。
INFOMATION
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