特集

5月初旬、南砺は「祭り」に染まる

「はしご」したくなる5日間

南砺市では、毎年5月1日から5日にかけて3つの祭りが開催される。それぞれに起源や目的は異なるが、いずれも地元の人たちに愛され、長い歴史を積み重ねてきた。

 

今回は、毎年5月1・2・3日(3日曳軕・屋台巡行)に開催される「福野夜高祭」、5月2・3日に開催される「井波よいやさ祭り」、5月4・5日に開催される「城端曳山祭」をご紹介。それぞれの祭りに詳しい3名の方々のお話を通して、南砺市の祭りの魅力を伝えたい。

 

全国でも珍しい
人が行燈を壊す「ケンカ」

まずは、福野夜高祭の魅力を知るために、福野駅にある観光案内所を訪れた。南砺市観光協会の福野支部長の勢濃力夫さんは現在、上町町内の夜高保存会長を務めている方でもある。20〜30代の頃には行燈の上に登ってケンカを行う「登上員」、42歳頃には各町の行燈練り回しの最高責任者・裁許(さいきょ)を務めた経験もある。

 

「最大の見どころはケンカですが、一般的な山車同士のぶつけ合いではありません。人が互いの行燈を壊し合うという非常に全国でも珍しい形です」

 

ケンカが行われるのは、5月2日の23時から。今は横町、浦町、辰巳町、新町、上町、七津屋といった6町の大行燈6基によって実施されているが、決まりがあるようだ。

 

「ケンカは上り行燈の1組と、下り行燈の1組によって行われています。下り行燈は停止した状態で、動いてくる上り行燈を迎え撃つといった格好ですね。上り行燈は上町、七津屋、新町の3町、下り行燈は浦町、辰巳町、横町の3町と決まっており、入れ替わることはありません。どちらにも属していない御蔵町はケンカに参加しない中立の立場です」

 
この祭りが始まったのは、慶安5年(1652)。町民が福野神明社を建立するために伊勢神宮より御分霊を迎える際、日暮れの道を照らすため、手に行燈などを持って出迎えたことが起源とされている。ケンカの歴史も長い。

 

「明治時代は、メインとなる上町通りの道幅が今の半分ぐらいでした。行燈が今より小さかったとはいえ、すり替えができません。しかし、行燈には『後ろに下がってはいけない』という原則があります。私の推測としては、後ろに下がれず強引にすり替える際にケンカが始まったのではないかと」

 
「よいやさ」の声が夜空に響き渡り、迫力に圧倒されるケンカ。見ているこちらまでエネルギーを消耗するような感覚に陥るが、ケンカが終わってもすぐに帰らない方がいい。

 

「意外と知られていませんが、2日の深夜1時半〜2時ぐらいに銀行の四ツ角に全町の裁許が揃って行われる『しゃんしゃんの儀』も見どころです。3日の本祭りを始めるための手打ち式といえば、分かりやすいでしょうか」

 

約2ヶ月かけて作られた行燈の命は儚い。そしてまた約2ヶ月かけて作られる。

 

「まず骨組みの補修を行いますが、図面はありません。皆さんの頭の中にあります。それから和紙を全部剥がして新たに貼り替えます。次に「蝋引き」といって、溶かした蝋にサラダ油を混ぜて適度な硬さにします。蝋を使うのは、違う色が混じり合わないようにするため。サラダ油を加えるのは、筆の滑りを良くするため。その蝋と工業用の染色を使って図柄を描いていきます。これらの技術は、各町内で脈々と継承されてきました。職人の手は一切借りていません」

 

制作背景に思いを馳せると、壊れる前の美しい姿もひと目見たくなるのではないだろうか。

 
「きれいな行燈を見るのなら、上町交差点の四ツ角にすべての行燈が勢揃いする5月1日の18時半から19時半の間が狙い目です。また、1・2日の22時半にもすべての大行燈が上町通りに勢揃いします」

 

福野夜高祭の魅力は、行燈だけではない。3日の本祭で各町を巡行する曳山も美しい。神迎えの神事に行燈と曳山といった2種類の山車を出す、全国でも類のない贅沢な祭りをぜひ体感したい。

INFOMATION

福野夜高祭

毎年5月1日・2日(宵祭り)・3日(本祭り)。「ヨイヤサ、ヨイヤサ」の掛け声とともに、「大行燈(おおあんどん)」が通りを練り回り、祭り気分を盛り上げます。
詳しくはこちら

 

 

 

1トン以上の神輿、
担ぎダコを未来へ

井波よいやさ祭りは、天保4年(1833)に商売繁盛、家内安全を祈願する神事として始まった。氏神を乗せた神輿が氏子の住む家々へ渡る「神輿渡御」が行われて、2024年で191年。長い伝統を誇る同祭について知るため、その代表総代であり、「藤井工業株式会社」の代表取締役である藤井圭一さんのもとを訪ねた。

 
「5月3日に氏子の方へ神様が出張するお祭りといえば、分かりやすいでしょうか。今年は大乃輿(だいのこし)という大きな神輿2基、子乃輿(このこし)という小さい神輿3基が町を巡行します。大乃輿の重量は、いずれも1トン以上。朝9時に御旅所を出発し、町内の氏子を巡行し、18時ぐらいに八幡宮に到着するという流れですが、1基につき約40人、1人につき約25kgを担いだ状態で10kmの道のりを歩くというものです」

 
神輿は、一度通った道を再度通ることがないため、見逃してしまう人もいる。神輿の跡を追うのも大変だ。その点に藤井さんもジレンマを覚えている。確実に見るには、「よいとこ井波」の隣にある御旅所で出発を見送るのがひとつの方法だ。また、御旅所には大乃輿1基が鎮座されているため、191年前に施された井波彫刻を間近で見ることもできる。

 

「神輿渡御では、氏子の方々から寄進をいただきます。寄進の種類には祈祷、修祓(お祓い)、特別祈祷、特別修祓があり、特別修祓はすべての神輿が揃ってから宮司さんの祝詞が上がり、木札を受けていただきます。特別修祓は3か所あり、そのうちのひとつはショッピングモールのアスモ。11:00頃に行われるので、ぜひ見物してください」

 

藤井さんの人生には、この祭りが寄り添っている。中学の頃には子乃輿を担ぎ、平成14年からは総代を務めるようになった。

 

「かつては、担ぐことが栄誉で、肩にできる担ぎダコが勲章でした。壱乃輿の担ぎ手に抜擢されていたのは、そういった熟練の勇ましい方々ばかり。だからか、いつの頃からか六角堂の周囲を休憩もせずに回り始めるようになりました。八幡宮に到着して境内を周回する際も、通常の3周を超えて7周に挑む猛者もいました。誰かが止めないとやめないほどの熱量でしたね」

 
先輩たちの祭りにかける情熱と技術力は、神輿に先行して露払い役を務める獅子舞にも宿っている。現在は山下、東町、下新町の3町内で行われているので、ぜひ見てほしい。また、神輿とは異なる独自のルートで町内を巡行している「屋体」に偶然出会うという楽しみもある。

 

「5月2日の宵祭では、八幡宮にある氏神6体を抱えて神輿の中にお納めし、一晩だけ御旅所でお過ごしいただきます。神官さんも1日泊まられます。その他にも、巫女舞の奉納や獅子舞のお祓いなど、18時から21時までいろいろな行事を行います」

 

担ぎ手や獅子舞、獅子取りなど、さまざまな面で人手不足に悩みながら、女性の担ぎ手や演奏者を募集するなど、さまざまな工夫を凝らしている藤井さん。「伝統を絶やしてはいけない」という強い意志を、祭りで感じてほしい。

INFOMATION

井波よいやさ祭り

毎年5月2日(宵祭)・5月3日(本祭)。天保4年(1833)、商売繁盛・家内安全を祈願する神事として始まった祭り。
詳しくはこちら

 

 

 

絹織物が可能にした
雅な世界

毎年5月4日に宵祭、5日に本祭が開催される城端曳山祭は、ユネスコ無形文化遺産、国重要無形民俗文化財として有名だ。その祭りの魅力を知るために、実際の曳山を展示している「城端曳山会館」を訪れた。本物を間近で見られるため、祭りへの興味が湧いてくる。この施設の館長である、山下茂樹さんに話を聞いた。

 

「享保年間の1724年、全国的な経済不況を打破し、町の招福・除災を願うために、神を祀って曳山を作ったのが始まりです。獅子舞と剣鉾が先頭に立ち、その後に傘鉾、神輿、茶屋や料亭を模した庵屋台、さらに曳山が続くようになりました。この形式は「古い神迎え行列」といい、江戸時代から今に受け継がれています」

 

古い神迎え行列を見られるのは、全国でも珍しい。また、木彫刻や城端塗りなど地元の名工たちの優れた技術力が宿る曳山も一見の価値がある。

 

「かつては町人の5割以上が絹織物に携わっていたと言われています。絹織物によって財を成していたため、豪華な曳山を作ることができたのでしょう。また、絹商人が絹織物を江戸に売りに行った際、当時の流行歌だった端唄と出会ったことが、庵唄の始まりとされています。庵屋台から流れる庵唄を楽しめる祭りは、全国に類を見ません。誰もが気軽にお茶屋文化を楽しめます」

 
山下さんが、初めて城端曳山祭を見たのは子どもの頃。学校の授業が終わり次第、一目散に駆けつけ、夜までずっと曳山に乗っていたという。今もこの祭りを愛してやまない館長の一番のおすすめは、本祭の夕刻の提灯山である。

 

「曳山に吊るし下げた弓形提灯がゆらゆら揺れ、彫刻に施された金箔がまばゆく光る。その巡行の雅さをお楽しみください。絢爛豪華な曳山と味わい深い庵唄を堪能いただければ、この祭りの良さを一層感じてもらえると思います」

 

庵唄が聞こえてくる庵屋台の内部には、三味線や篠笛、太鼓などの演者もいる。それらの人々が、各町内の家の前で唄や演奏を披露する「庵唄所望」も、この祭りの特徴だ。かつて篠笛を演奏していた山下さんは、「当時は所望の家が約50件あったため、朝から晩まで1日50回ぐらい同じ曲を演奏していました。しかも、毎年唄が変わるので、2月頭から祭りに向けて、夜にみんなで集まって稽古をしていましたね。当時は楽譜がなかったため、先輩方の吹き方を見て覚えたものです」と回想する。

 
城端曳山祭には、細部を見学するマニアックなファンが多いそうだ。一般には意外と知られていない見どころもいくつかある。

 

「曳山の車軸ですね。檜の板をベアリング代わりに使うことで、ギュッという音を出していますが、この板を入れる様子を見たいという方もいますね。東下町は御神体の上げ下ろしを昔ながらの伝統を重んじて人力で担いでいます。重さは100kg。この様子は、朝6時過ぎに東下町の山宿で見ることができます」

 
また、宵祭にしか見ることのできない6軒の山宿も見逃せない。御神像を迎えるために屏風や季節の花などでしつらえた自宅が、夕方から一般公開される。山宿をめぐり歩けば、ため息が漏れるほどの豪華さに出会えるだろう。明日への高揚感も増すに違いない。

 

5月初旬の南砺市を華やかに彩る、3つの祭り。それぞれの祭りに対する地元の方々の熱い思いが、今年も多くの人に感動を届けるのだろう。

INFOMATION

城端曳山祭

毎年5月4日(宵祭)・5日(本祭)に行われている、300年の伝統を誇るお祭りです。
詳しくはこちら