「はしご」したくなる5日間
今回は、毎年5月1・2・3日(3日曳軕・屋台巡行)に開催される「福野夜高祭」、5月2・3日に開催される「井波よいやさ祭り」、5月4・5日に開催される「城端曳山祭」をご紹介。それぞれの祭りに詳しい3名の方々のお話を通して、南砺市の祭りの魅力を伝えたい。
全国でも珍しい
人が行燈を壊す「ケンカ」
「最大の見どころはケンカですが、一般的な山車同士のぶつけ合いではありません。人が互いの行燈を壊し合うという非常に全国でも珍しい形です」
ケンカが行われるのは、5月2日の23時から。今は横町、浦町、辰巳町、新町、上町、七津屋といった6町の大行燈6基によって実施されているが、決まりがあるようだ。
「ケンカは上り行燈の1組と、下り行燈の1組によって行われています。下り行燈は停止した状態で、動いてくる上り行燈を迎え撃つといった格好ですね。上り行燈は上町、七津屋、新町の3町、下り行燈は浦町、辰巳町、横町の3町と決まっており、入れ替わることはありません。どちらにも属していない御蔵町はケンカに参加しない中立の立場です」
「明治時代は、メインとなる上町通りの道幅が今の半分ぐらいでした。行燈が今より小さかったとはいえ、すり替えができません。しかし、行燈には『後ろに下がってはいけない』という原則があります。私の推測としては、後ろに下がれず強引にすり替える際にケンカが始まったのではないかと」
「意外と知られていませんが、2日の深夜1時半〜2時ぐらいに銀行の四ツ角に全町の裁許が揃って行われる『しゃんしゃんの儀』も見どころです。3日の本祭りを始めるための手打ち式といえば、分かりやすいでしょうか」
約2ヶ月かけて作られた行燈の命は儚い。そしてまた約2ヶ月かけて作られる。
「まず骨組みの補修を行いますが、図面はありません。皆さんの頭の中にあります。それから和紙を全部剥がして新たに貼り替えます。次に「蝋引き」といって、溶かした蝋にサラダ油を混ぜて適度な硬さにします。蝋を使うのは、違う色が混じり合わないようにするため。サラダ油を加えるのは、筆の滑りを良くするため。その蝋と工業用の染色を使って図柄を描いていきます。これらの技術は、各町内で脈々と継承されてきました。職人の手は一切借りていません」
制作背景に思いを馳せると、壊れる前の美しい姿もひと目見たくなるのではないだろうか。
福野夜高祭の魅力は、行燈だけではない。3日の本祭で各町を巡行する曳山も美しい。神迎えの神事に行燈と曳山といった2種類の山車を出す、全国でも類のない贅沢な祭りをぜひ体感したい。
INFOMATION
福野夜高祭
毎年5月1日・2日(宵祭り)・3日(本祭り)。「ヨイヤサ、ヨイヤサ」の掛け声とともに、「大行燈(おおあんどん)」が通りを練り回り、祭り気分を盛り上げます。
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1トン以上の神輿、
担ぎダコを未来へ
「神輿渡御では、氏子の方々から寄進をいただきます。寄進の種類には祈祷、修祓(お祓い)、特別祈祷、特別修祓があり、特別修祓はすべての神輿が揃ってから宮司さんの祝詞が上がり、木札を受けていただきます。特別修祓は3か所あり、そのうちのひとつはショッピングモールのアスモ。11:00頃に行われるので、ぜひ見物してください」
藤井さんの人生には、この祭りが寄り添っている。中学の頃には子乃輿を担ぎ、平成14年からは総代を務めるようになった。
「かつては、担ぐことが栄誉で、肩にできる担ぎダコが勲章でした。壱乃輿の担ぎ手に抜擢されていたのは、そういった熟練の勇ましい方々ばかり。だからか、いつの頃からか六角堂の周囲を休憩もせずに回り始めるようになりました。八幡宮に到着して境内を周回する際も、通常の3周を超えて7周に挑む猛者もいました。誰かが止めないとやめないほどの熱量でしたね」
「5月2日の宵祭では、八幡宮にある氏神6体を抱えて神輿の中にお納めし、一晩だけ御旅所でお過ごしいただきます。神官さんも1日泊まられます。その他にも、巫女舞の奉納や獅子舞のお祓いなど、18時から21時までいろいろな行事を行います」
担ぎ手や獅子舞、獅子取りなど、さまざまな面で人手不足に悩みながら、女性の担ぎ手や演奏者を募集するなど、さまざまな工夫を凝らしている藤井さん。「伝統を絶やしてはいけない」という強い意志を、祭りで感じてほしい。
絹織物が可能にした
雅な世界
「享保年間の1724年、全国的な経済不況を打破し、町の招福・除災を願うために、神を祀って曳山を作ったのが始まりです。獅子舞と剣鉾が先頭に立ち、その後に傘鉾、神輿、茶屋や料亭を模した庵屋台、さらに曳山が続くようになりました。この形式は「古い神迎え行列」といい、江戸時代から今に受け継がれています」
古い神迎え行列を見られるのは、全国でも珍しい。また、木彫刻や城端塗りなど地元の名工たちの優れた技術力が宿る曳山も一見の価値がある。
「かつては町人の5割以上が絹織物に携わっていたと言われています。絹織物によって財を成していたため、豪華な曳山を作ることができたのでしょう。また、絹商人が絹織物を江戸に売りに行った際、当時の流行歌だった端唄と出会ったことが、庵唄の始まりとされています。庵屋台から流れる庵唄を楽しめる祭りは、全国に類を見ません。誰もが気軽にお茶屋文化を楽しめます」
「曳山に吊るし下げた弓形提灯がゆらゆら揺れ、彫刻に施された金箔がまばゆく光る。その巡行の雅さをお楽しみください。絢爛豪華な曳山と味わい深い庵唄を堪能いただければ、この祭りの良さを一層感じてもらえると思います」
庵唄が聞こえてくる庵屋台の内部には、三味線や篠笛、太鼓などの演者もいる。それらの人々が、各町内の家の前で唄や演奏を披露する「庵唄所望」も、この祭りの特徴だ。かつて篠笛を演奏していた山下さんは、「当時は所望の家が約50件あったため、朝から晩まで1日50回ぐらい同じ曲を演奏していました。しかも、毎年唄が変わるので、2月頭から祭りに向けて、夜にみんなで集まって稽古をしていましたね。当時は楽譜がなかったため、先輩方の吹き方を見て覚えたものです」と回想する。
「曳山の車軸ですね。檜の板をベアリング代わりに使うことで、ギュッという音を出していますが、この板を入れる様子を見たいという方もいますね。東下町は御神体の上げ下ろしを昔ながらの伝統を重んじて人力で担いでいます。重さは100kg。この様子は、朝6時過ぎに東下町の山宿で見ることができます」
5月初旬の南砺市を華やかに彩る、3つの祭り。それぞれの祭りに対する地元の方々の熱い思いが、今年も多くの人に感動を届けるのだろう。