合掌造り集落の魅力

かつて秘境とよばれた白川郷と五箇山

 岐阜県の白川郷(白川村荻町)、富山県の五箇山(南砺市相倉、菅沼)は、江戸時代から昭和初期まで建てられていた伝統的な家屋「合掌造り」が数多く残る村落。それらが今もなお暮らしの場であるということが評価され、日本を代表する農山村景観、集落として1995年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。
 これらの地域は、岐阜県と富山県との県境にある、庄川沿いの急峻な山々に囲まれた日本有数の豪雪地帯。外界との往来が不便だったことから独自の生活文化を形成してきました。現在は、交通網が発達し、かつて「秘境」とよばれていた白川郷・五箇山も、気軽にアクセスできるようになり、民話の世界そのままの風景が、訪れる多くの人々の心を癒しています。

 

白川郷
五箇山

 

 

「合掌造り」とは?

 合掌造り家屋は、五箇山と白川郷及び両地域に隣接する一部の山間部にのみ見られる独特の建築様式。今でも多くの人が住居として利用し、生活を営んでいることも大きな特徴です。「合掌」は、仏を拝むときに左右の掌を合わせた腕の形に由来します。茅葺き屋根は、その名の通り茅(※1)で葺かれた屋根で、通気性、断熱性、吸音性、保温性に優れています。また、小屋組みには釘などを一本も使わず、木を組み合わせて縄やネソ(※2)で結束するという柔構造のため、地震や強風に強いとされています。屋根は50~60度の勾配で、雪が積もりにくいというメリットもあります。
※1 カリヤス ※2 マンサクの若木

 

白川郷
五箇山

 

 

仕事場でもあった合掌造り

 江戸時代には、和紙製造や養蚕(ようさん)、火薬の原料になる塩硝(えんしょう)の製造が一大産業として住民の生活を支えていました。1階は、紙漉き場と住居。床下では塩硝土を培養し、2階は、養蚕に使用されました。
 特に養蚕は合掌造りの屋根のかたちに影響を与え、屋根裏を作業空間とするために茅葺きでありながら「切妻造り」という独特の屋根構造を生み出しました。大きいものでは、高さ15mに達する合掌造りもあり、屋根裏を4~5層にして広い屋根裏空間を効率的に活用しています。
 1階の天井は一部を除いてすのこ張りになっています。囲炉裏からのぼる熱気を通過させて、蚕室を暖める必要があったからです。また、煙が防虫・防腐となり木材や茅葺屋根を長持ちさせました。
 世界でもまれな豪雪地帯でもあり、雪深い冬という厳しい自然に対応する強固な造り、さらに生活の場と生業の場をひとつにした合理的な建築。先人の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りです。

 

屋根裏
白川郷

 

 

受け継がれる「結」の精神

 合掌造り家屋の大きな特徴は、“茅葺き屋根”の葺き替え。特殊な技術と、大変な労力がかかります。昔からその作業は、人々が互いに助け合う「結(ゆい)」という相互扶助の制度に基づいて受け継がれてきました。地域の人々が互いを助け合う優しい気持ちが、長い年月を経てもなお合掌造りの家々を守り続け、世界遺産登録に繋がったものといえましょう。

 

葺き替え
葺き替え

 

© Nanto City Tourism Association